Walking along The Highline

立ち止まることもあるけど、歩き続けていたい。

50代のリアルな毎日。いろんなことをつぶやいていこうと思います。

参院選投票日に想う

毎回そうなんですが、
今回も、期日前に投票に行ってきました。

我が区のみなのでしょうかわかりませんが、
毎回投票会場には、シルバーの皆さまが係員として配置されています。
しかも、こんなに必要か?と思うくらいの人数で対応されています。
きっとボランティアではなく、お給料が発生しているんだなあと思うと、毎回もやりとした気持ちで帰宅します。


こんな年齢になっても、 
参議院って、結局どんな役割になってる?必要?
両議院制度のしくみの理解ができていません。


そもそも、
人口減少や税負担にあわせ、定数削減する法案なんて、
誰一人絶対考えていないんでしょうねなどど思いながら
投票してきました。


そんなわけで、
積極的な支持もなく、投票権がある国民としての義務的な行動。



しないよりマシなのかな。
しないことにも、
興味なしの理由もあれば、
支持者なしの意志の表われということもあるよねと考えてみたり。






そんななか、
金曜日の出来事は、衝撃でした。



まずは、お悔やみを申し上げます。
命が、暴力的に奪われた瞬間をテレビ画面上で観た夜は、
ショックでなかなか寝付けませんでした。




どんな理由があったにせよ、
暴力で訴えることに何も解決策はないことだということを、
なぜ理解できないんだろう。
とても悲しいです。




同じ病気を持つものとして、
安倍さんに関しては、
政治家としてというより、
同病歴のある方として、コロナが始まったころから、体調面ではこの難局を乗り越えられるのかなと
勝手に心配をしていたりしました。

病気を理由に、
2度も辞任をせねばならなかった忸怩たる心情は、察するにあまりましたが
治療に徹した時間を経て、また社会に復帰できたことは、
症状進行度にあわせた治療の選択肢が増えてきたのだと、
私達にも、明るい希望を持てました。




でも、
まさか、こういう命の終わり方をするなんてと、
ご自分が一番、全く想像していなかったと思います。




今日があって明日がある
あたりまえでないと思いつつ、まさか自分がと思って毎日を過ごしている私たち。




自分たちの未来は
ぼんやり誰かが何とかしてくれると思う自分にも、
今日の選挙で
改めて見つめ直すきっかけをもらった日となったかもしれません。