Walking along The Highline

立ち止まることもあるけど、歩き続けていたい。

50代のリアルな毎日。いろんなことをつぶやいていこうと思います。

思い出 そして、あれこれ雑感

バタバタしていたら、前回の書き込みから、ほぼ1週間。



オレゴン州の友人から
カリフォルニア州の山火事の影響が、彼女らの住むオレゴン州まで迫ってきていると、煙に曇ったオレンジ色の空の写真とともに連絡がありました。

news.yahoo.co.jp


心配です。


カリフォルニア州の友人は、山火事も影響する熱波による温度が異常すぎるとビデオトークで話していました。

news.yahoo.co.jp


コロナの心配だけでなく、
どの国も、自然災害など、気の休まることのない時代になってきています。




カリフォルニア州の友人は、元同僚ですが、
オレゴン州の友人は、
当時夫婦で日本に在住していて
私が、以前、日本語教師ボランティアで教えていた生徒だった人です。
帰国後は、しばらく交流は途絶えていたんだけど、FBで私の名前を探してくれて、再びreunionして以来の長い友人です。



結婚して、1度、英語を母国語としないヨーロッパの国に在住し,
帰国して、
下の子供が幼稚園に入園して、ちょっと余裕ができたときに、
区の日本語ボランティアとして6年くらい活動していました。


きっかけは、
当時、海外在住時は、もちろん、インターネットが普及してもなく、
生まれたての赤ちゃんも抱えていたので。育児の情報も、日本と違うことも多くて。
(インターネットやライン、ビデオトークあったら、きっと100倍楽しかっただろうなあ。国際電話なんて電話代金怖くてかけられなかった)
育児も生活にも、ストレスやプレッシャーがいつもあり、
(赤ちゃん発熱したら、冷水シャワーをあびせてなどの医師からの指導など・・)
(ベビーカーでのんびり散歩しても、日本人お金持ってるとか、スキがあるなどという理由で、よく後をつけられていた。
こちらも、気配を感じると、
家を確定されると危ないから回り道してベビーカーで爆走して逃げたり、巻いたりして、
結局、どこ歩いてるかわからず迷い、泣きそうになったり、
携帯もないし、どうやって帰宅できたか今でも謎。
結構サバイバルしてた。海外あるあるです。)
気楽にエンジョイできる感じではなかったという苦い思い出があります。
また、時折感じるアジア人に対する差別的な対応も、悲しかった思い出があります。


マンションには、朝から夕方まで、通いのお手伝いさんがいたけど、英語も通じず、
私自身も、子育てに精一杯で、自分のペースで生活したいけど、
家政婦さんが朝からいて。

我が家には必要ないのでとお断りしたいけど、
彼らの雇用も付きでの契約ということでした。
最初は、なかなか慣れず、
お互い苦笑いしかできないところから始まりました。


少しづつそれでも、言葉がわかるようになり、一緒に市場に買い物に行ったりしているうちに、私の知らない部分のその国の状況などを知ることになり、
もうすっかり今では言語も忘れてしまったけど、会話もできるようになって、彼女のおかげで生活の幅も広がりました。

現地の方にもたくさん助けていただいていい思い出ができました。



なので、帰国後は、何かチャンスがあったら、
自分も、日本に住む外国人のひとを助ける機会があれば、ぜひやりたいと思っていました。

確か6か月間くらいだったか、毎週行政が開催する養成講座で学習をして、その資格を得ました。


当時、ボランティア講座に集まった方々は、私みたいな主婦もいましたが、リタイアされたシニアの方なども多かったと思います。
無事講座も終わり、さあ、これから対象となる外国人のマッチングが、事務局からおのおのに発表されたときに、
ほとんどの方々が、あきらかにがっくりしたようなお顔をされていたのを思い出します。
そして、その中の何人かの方々は、その後事務局に詰め寄って、
対象外国人の変更希望を申し出ていました。


やっぱりな。
と、私は、長い講座の期間中に知り合った方々の、ここにきて学習している理由が、自分とは違うなという違和感を感じていたことが当たっていました。

彼らは、英語の話せるアメリカやカナダ、イギリスの学習者にしか、日本語を教えるイメージしか持っていなかったのです。

なので、その対象者が、その他の、東南アジア人や、中国人、南米人では、納得できないわけです。


皆さん、自分のキャリアの延長線上には、ボランティアというりっぱな活動を考えているけど、
その本来の目的とは、それぞれ思惑がちがっていて、
いつのまにか根付いた差別感や、無償であるはずのボランティアの見返りとして、
あわよくば、英語もタダで習っちゃおうと思っていたり。
将来は、家族ぐるみでお付き合い、
とか、意識高い系のシニアの方々は、夢描いていたかもしれません。


日本語学習者の多くは、英語を母国語としている人は、むしろ少なく、
中国の方や、南米の方とか、多国籍の方々がたくさんいらっしゃいました。


やはり、思惑が違ったボランティアのかたがたは、せっかく半年勉強して得た資格も、長続きしていませんでした。
私は、下の子が中学生になるのを機に、仕事を始めるまでの期間、
いろんな国の人と出会えて、本当に勉強になったと思います。
そのなかの何人かは、FBやインスタなどでつながっていて、SNSの恩恵を得ています。

ボランティア時代も、いろんな学習者に出会いました。
朝から晩まで、日本に来たのに、1日中工場の機械と向き合い、日本語をしゃべるチャンスが全くない方、
一晩中仕事をして、昼夜逆転の生活をしているので、日常で日本人と交流がない方、
日本人と結婚して子供が学校からもらうプリントの内容がわからない主婦の方、
中国人の女性漢方医師の方には、東洋医学の奥深さを教えていただいたり、
フィリピン女性の主婦の方、チラシの見方を教えてと、毎回大量のチラシを持ってきて広げて検証したり。
いつもいつも六本木で二日酔いの英会話教師とか。
冒頭の、オレゴン州の夫婦は、帰国して子供をもうけ、子供たちを日本語学習に力を入れてる学校に通わせています。

基本、ボランティアなので、生徒が来なくても連絡なければ、時間中は、基本待ちの状態。
何度も何度も、待ちぼうけはありました。
特に二日酔いの英会話講師 笑
待ちぼうけしたあげく、携帯で何度も鳴らしてやっと電話に出る彼の毎回の言い訳が、逆に面白かった。
この人は、日本語覚える気全くなくて、自分でも、日本で英語話す方がモテると豪語していた。
うん、たぶんその通りだと思うよ。

携帯電話が普及してからは、お互い連絡先を交換できている場合が、出欠の確認はできたけど、
そういうことが我慢できない人たちは、さっさとやめていきました。

日本では、
まだまだボランティアの立ち位置がわからない人が多いのかなと、当時は思いましたが、
最近では、災害ボランティアなどもあり、
ボランティア後進国の日本も、意識が変わっていっていくことを期待したいです。



私については、
大学で英語を専攻したくらいで、
たまたま、海外在住の機会を得て、
あらためて、
語学を取得することで、自分の世界観が広がることも実感でき、
たまたま、その後いろんなチャンスに巡り合い、少しだけ努力して、
英語を使う仕事をすることになり、
ある意味、夢がかないましたが、

実際に私は、バイリンガルでもないので、職場でたぶんかなり低いレベルの能力だと自覚しています。
自分なりに、亀のごとく勉強を続けています。
即座に、微妙なニュアンスを伝える能力と、ネイティブの会話の速度についていけず、心の中でアワアワなってる日々です。

でも、好きな仕事に就けているラッキーを無駄にしないようにしなきゃと思います。




改めて、振り返ってみると、ここにたどり着くまでに、
いろんな偶然があったり、出会いがあって導かれてきたんだと思うと、
本当に、未来は何が起こるかわかりません。


ただ、待っているだけでなく、チャンスのしっぽをつかみ損なわないよう、感度はみがいておきましょう。
って思います。


何歳になってもね。




日曜の午後、あれやこれや思いのままに書いてみました。