3年前の6月は、悲しいことがありました。
こども2のママ友として出会い、なんでも話せる友人になった彼女が、
長年患っていたがんで、54歳で亡くなりました。
ちょうど、フリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなられた日の1日違いだった。
あの頃は、小林麻央さんのつづるブログを読みながら、
2人の命の灯が、消えないようにとひたすら祈っていました。
翌年は、高校の同級生が、違うがんで亡くなり、
そして去年は、大学の同級生が、違うがんで亡くなりました。
3人とも、まだまだこれからと思ったと思います。
子供の未来も見たかったでしょう。
自分の未来もたくさん夢見ていたことと思います。
私の母が亡くなったのは、母が65歳の時。
やはりがんで亡くなりました。
あんなに健康に気を遣っていた母が、こんな苦しい闘病をして亡くなる。
なのに、なぜ、街中で酔っ払っているあんなおじさんや、健康なんかまったく気を付けてないあんな人、こんな人が生きてるの?
と、その時は、その不条理さに、納得がいきませんでした。
もっとああしてあげればよかったとか、こうだったら大丈夫だったかもと、自問自答をする毎日。
残された家族も、最大級の苦しみの中で、もがくことしかできないのです。
友人たちの残されたご家族のその後も、いつも気にかけています。
連絡取れる人とは、命日の日に、連絡をして、彼らの今の気持ちを聞いてあげることしかできませんが、
よりそうことで、少しは気持ちが救われているといいなと思います。
私もそうだったから。
人間って、生きて死んでいく。シンプル。
みんながたどる道ですが、
その道が皆違っていて、長い、短い、まっすぐ、曲がりくねってる、明るい、真っ暗・・
もう2度と会えないことを、何度も実感するたびに、
改めて,
その存在がとても大きかったことも、強く感じます。
今日は、Yちゃんの写真をみて、楽しかった最後のランチの日のことを一緒に行った友人と思い出しながら、LINEで語り合いました。
亡くなる4か月前だったのに、
沢山笑って、沢山食べてたねー。
病気してる人には見えなかった。
ご主人もおっしゃってた.
体調が悪い中、ぎりぎりまで外出できるか心配していたけど、
迎えに行って顔見たら、
出かけた時の様子と全く違って、別人みたいになっていたと。
本当に楽しかったと言ってくれたこと。
あの日が、彼女の最後の外出になったことなど。
そんな1日だったことを。
去年も、同じこと話してましたが、話は尽きません。