Walking along The Highline

立ち止まることもあるけど、歩き続けていたい。

50代のリアルな毎日。いろんなことをつぶやいていこうと思います。

自分が母親になった日

雨ですね。

あの日は、天気はどうだったんだろうか。

窓の外を眺める余裕もなかったな。

 

 

夫は、1人海外赴任。

私は、夫を見送って、実家に戻り、妊娠後半を過ごしていました。

初めての出産。

夫がいないのはわかっていたこと。

でも、その不安も忘れるくらい、実家の両親と妹がいてくれたので

そんなに不安感はなかったけど、

 

後期になって、妊娠中毒症までは行かないけど、足の浮腫が発症したり、

突然の腹痛で、胎盤剥離になりかけたり。

 

そしてそれは最後まで気が抜けなくて。

予定日は、6月3日ですといわれていたのに、全くその気配はなくて、

とりあえず1週間兆しがなければ、陣痛誘発剤で、

胎児が大きいので、帝王切開も考慮に入れるとのこと。

 

案の定、全く兆しもなく、

6月10日に入院。

その日は「時の記念日」だそうで、義理の父から、3日より10日の方が記念になるね

と、声かけてくださったのですが。

 

 

入院して、

早速陣痛誘発剤が始まり、点滴しても兆しなく。

それを1日やって、

夕方医師から、中止が出て、

明日にしましょう。体力温存してください。

と告げられました。

 

 

結局、この時の記念日に生む気満々だっただけに、肩透かし。

その間も、分娩室には、妊婦さんが次々運ばれて、元気な産声が聞こえます。

 

 

とにかく、明日。

明日だよね?と、お腹の我が子に声かけたけど、

この妊婦生活に終わりがちゃんと来てくれるのか、もしかして

まさか、

ゴールはないのか?と不安な夜を過ごしました。

 

 

次の日も朝から、誘発剤点滴が始まります。

午前中、兆しなく、

昼ごはんを食べ、

今度は、バルーンを入れましょう。

ということになり、

 

確か、記憶が正しければ、その状態で医師から、廊下を歩いてくださいと言われ、

すごい状態で、

院内をフラフラ歩いているときも、

何人かの妊婦さんが分娩室に運ばれて、どんどん出産していくんです。

 

 

流石に、不安になりました。

一生赤ちゃん出てこない? どうなるんだろう

 

 

医師のチェックが入り、

もう、母体と胎児の体力を考えると、

帝王切開に切り替えます。

との診断が出た時は、

あー、もうお腹切ってください。

ゴールテープください。と、とりあえずほっとした気持ちになりました。

 

 

バタバタという緊張感の中、今度はオペ室へ。

 

部分麻酔を打たれますが、

お腹にメスが入る感覚はなんとなくわかり、

医師が赤ちゃんを取り上げた時、

頭が大きいから、これじゃ産道は難しかったねーと、一言言われたので苦笑しました。

 

 

 

 

元気な声が、

廊下で待ってる母親にも聞こえたそうです。

 

とにかく、やっとやっと会えた赤ちゃん、

感激というより、本当に心底くたびれて、顔見て安心しました。

 

 

そんなに、世の中に出たくなかったの?お腹の中が気持ちよかったんだねーと、

赤ちゃんの顔見ながら

心の中で呟きました。

 

 

そんなことを思い出しながら、

今日は朝から

子供にお誕生日のメッセージを入れました。

 

 

 

お母さんにしてくれて、本当にありがとう。

 

 

 

本人には言えないけどね。

 

 

 

本当にそう。

 

私のところに来てくれて、本当にありがとう。

元気でいてくれるだけで奇跡です。

 

きっと、母も心配だったでしょう。

 

初孫を迎えた亡き母の嬉しそうな顔も

毎年、思い出します。

 

 

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